2020/12/30


年末年始の営業について 

 例年の通り大晦日と元日をお休み致します。また、熊本県より営業時間の時間短縮要請が出されたため12月30日より明けて1月11日まで営業時間を変更し、17時オープンは変わらず22時にクローズします。併せて2021年1月のお休みは、1月12日、13日、18日とします。


2020年12月29日 熊本日日新聞朝刊

2020年12月30日 熊本日日新聞朝刊
 記事は熊日のエース高宗亮輔氏による


 本年は大変な一年となりました。コロナのこと以外は殆ど何もないような一年でしたが、お店としては、かねてよりの腹案であった待望のカウンターの入れ替えを行いました。11年目の一年間と、お客様の目にふれ、手ざわりの感じて頂ける場所をより良い安定感のあるものに変更できた事を、2020年のせめてもの積み増しと考えたいと思っています。So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.と言うあれだ。

  
 足繁く通われた方も、ご事情如何によりお越しになれなかった方も、等しく今年もお世話になり、おかげさまで無事一年の締めくくりを迎えます。この場を借り、改めてご丁重なるお付き合いに感謝致し御礼申し上げます。来年も引き続いて厳しい状況に違いはなさそうですが、少しでも明るい展望が兆すよう祈ります。皆様のご健康とご多幸、またご無事での新年を迎えられます事を心よりお祈り申し上げます。

To the happy few.

バーマーノ 須郷栄城 






2020/11/02

お知らせの続き

前回のお知らせに引き続き、改装工事についてのご案内です。前回予定しておりました開始時期がずれ込みましたのでご報告いたします。当初、今月4日から店内改装工事を予定しておりましたが、11月9日の月曜日から11月19日の木曜日までと、開始時期と併せて工事期間も予定より延長する事となりました。こちらを以て正式な決定となります。

期間中、ご迷惑をおかけする事もあるかと存じますが、何卒ご理解を頂けますよう伏してお願い申し上げます。




 

2020/10/20

お知らせ

 今週の木曜日、22日は急遽お店をお休みします。若しや、ご来店を予定されていらした方には
心よりお詫び申し上げます。
 来月の第一週目より店舗内の改装工事を行う予定です。今回は工事に関して下見が必要な為
元は営業日ではありますが、ご迷惑を承知の上お休みをしたいと存じます。全面的な改装、部分的な改修補修を含めると最早、何度目の工事になるのか記憶も定かではない程ですが、とうとう今回が最終的な改装工事となりそうです。11月4日より11月12日までの9日間の期間を予定しております。工事開始がずれ込む可能性もありますので、開始時期につきましてはこちらに再掲致します。
 工事期間中ご迷惑をおかけします事お詫び申し上げます。改装後の新たなお店で、皆様に寛いだ時間とお酒を楽しんでいただく事を、私自身心から楽しみにしております。
世界中が、コロナによって大変不安で不安定な時期ではありますが、皆様のご健康と精神の安寧を心よりお祈り申し上げます。

バーマーノ 須郷栄城



2020/09/06





2020年9月6日の営業に関して

 台風10号の影響により、本日は臨時休業と致します。明日7日も予定通り休業日とします。





2020/08/07

人の意見はむつかしいその1


 他人の意見というものは、大変に難しい。現在はさほど人の意見に左右はされなくなり聞くべき意見は拝聴もするし、そうではなくても判断を保留し参考くらいにはしたりもする。私も含め殆どの人間は、当然だが自分の意見しか持っていない。当たり前の話ではあるのだが、ここから恐ろしく飛躍をする。とんでもない事に、人はそれを平気で自分以外の人間に、さも真理であるかのように語るのである。本人にとっては現在まで生きてきた証のような真実である為、完全に信じ切っており、平気で事実のように語るのである。まったく取りつく島もない。然しながら人生の話、生き方みたいなものを他人に懇切丁寧に諭されたからと言って、明日から違う自分になりましょうなんて事は起こり得ない。もしそれが起こってしまうのなら、その人は人生に多くの問題を抱え過ぎているのではと思う。しかしこれもまた私の意見ではあるのだが。


 これは人の生き方だとかそんな面倒な話ではなく、味に関する話である。職業柄、食事のお店の評判をよく耳にする。皆、自分自身の真実を滔々と語る。二十代の頃福岡の中洲でバーテンダーをしていた当時、その様な話を散々耳にして、時間と懐に余裕がある際にはあちこちと出かけて行った。実際に味わってみて、本当に美味いと思う事が1割、おいしい位ならあとの2割。あとは何故その店を他人に薦めたのか、その類推に時間を割く事になる。若い頃の話であるので残念ではあるのだが、そうおいしくもなかった時などは純粋に腹を立てていた。ようは余裕がなかった訳だが、よく考えるととんでもなく不遜な話である。まさか、一生のうちにまず一度きりその場に現れただけ、せいぜい1万円も支払わない。そんな一度きりの機会で、何故おまえが欲しいだけの満足を充分に、スマートな形で提供されなければならないのか。若く、考えの足りなかった事を今では恥じ入る思いでいる。それはたかの知れた金で、他人の時間を買おうとするようなものだ。今はそんな事を言っている歳でもないので、腹は立たず腹が膨れて終わり、あとは忘れてしまう。但し、おいしくないという事に関しては食物を扱う側の考えもあり、その事が当たり前とは思っていないので、二度そこに出向く事はない。

その当時から20年くらい経っているので、生きている間に起こる事に関しては、情報や状況を充分に選んでも半々、良い事が起こるのは稀で、大過のない事だけで充分に満足である。

 

 さて、味の話である。お酒を仕入れる際、何を基準に選定し買い求めるのか?これはよくお客様から尋ねられる種類の話だ。

 実際には飲んだこともない酒を仕入れるわけである。業者向けの試飲会もあれば、酒販店にはテイスティング用のお酒をかなりの数を準備する会社もある。できるだけそのものを味わって選ぶべきではあるが、それも限度がある。それは何故か?

 バーテンダーの日常は朝方近くまで働き、きちんとしたお店であれば、一般の方が想像されるよりも早くお店にやって来てしっかりと開店の準備をする。バーはイメージよりも汚れやすく、掃除にも大変手間がかかる場所なのだ。そうすると、しょっちゅうあちこちの試飲会に顔を出せるわけでもない。単純に睡眠時間が削られ、営業中に恐ろしいほどの睡魔に襲われたりもする。皆様ご周知の通り、バーとは割に静かで割と暗い場所でもあります。言ってしまえばそれを売りにさえするような場所でもある。もしあなたが暇人であれば是非一度とは言わず暗がりの中で佇むバーテンダーを、こっそりと観察してみて欲しい。バーに足繁く通う人であれば、運がいいのか悪いのかはさて置いても年に一度くらい、カウンターの中で器用に立ったまま眠るバーテンダーの姿に遭遇する事があるかも知れない。それは言わばちょっとした僥倖である。そう、奴らは立ったまま器用に眠れるのだ。でも大丈夫、あなたのその心配もきっと杞憂に終わる。そしてそう、今まさに彼らもまた、その僥倖に浴しているわけだ。


 それでは、どのようにして仕入れる酒を選ぶのか? ここでの話題は特に、ウイスキーに関してである。バーテンダーにより様々意見はあるかと思うが、わが店の場合結局のところ書物に頼っている。


その2につづく

2020/05/05

営業の再開時期について


国内における新型コロナウイルスの感染拡大抑制
のため、先月22日より当月6日までバー業界への
要請があり休業を致しておりました。4日の18時、
政府からの発表を受け5日熊本県知事より、バー
ネットカフェ、パチンコ店、ゲームセンターなど
の遊興、遊戯施設は11日から開業再開を認める
方針が発表されました。よって、5月11日より通常
営業を再開致します。
また、キャバレー、クラブなど接客を伴う飲食店
カラオケボックス等は感染状況の見極めのため20日
まで休業要請を延長する。




2020/04/22

コロナ禍に関する対応について


昨日、新型コロナウイルスの蔓延抑制のため熊本県より休業要請が為されました。現在のところ2020年4月22日より2020年5月6日迄の要請があり、同期間中休業と致します。今後どの様な動きとなるか不透明な部分がございますが宜しくご理解の程お願い致します。



2020.4.18  2:17
下通り北側入口付近より南側に望む。下通り
 オールクリアをこの二十年で初めて目にした。
時期が時期ではあるけれど純粋に驚く。





2020/04/10

¿Por qué es Macondo?


 マコンドとは、かの著名な南米の巨人ホセ・アルカディオ・ブエンディーアがまだ若者であった頃、仲間と海を求めて同道した道行きの途上に拓いた村の名前である。この場所の表題がマコンドである理由はほんの少しばかり説明を要する。

 私が自らのバーを開くにあたり、できれば百年続くお店ができればと考えていた。以前勤めていたお店は私の在籍した最後の年、2009年の時点で既に30年の営業を続けてきた老舗バーであった。2001年から、熊本にあるそのお店の責任者となり、引続いて日々営業を重ねていたがその中で唯一不満足な点があった。
 そのお店は着任したその年から10年を遡ると責任者は、私で既に6人目であった。
そこでの何が不満かと言えば、永らくの常連のお客がある日、一見のお客となってしまう事である。そのある日、カウンターに立つバーテンダーが見たこともない奴に入れ替わっているわけだ。それはどうにも具合が悪い、20年、 30年と通ったお店だ。30年連れ添った奥方から新しい旦那を紹介されるようなものだ。どうも、知らぬ間に旦那が入れ替わっていたらしい。貴方、新しい旦那さんのなんとかさんよ、よろしくね。こちらも察して、いやこれはどうも、まえの旦那のなんとかです、そんなお話とは露知らずこれは失礼を?と。
まさかそんな間抜けな話があったものではない。
その様な事情から、私は当時29歳であったので、あと40年続けて60年。その時点で誰か託せる人間を育てていれば百年も不可能ではないよな、と考えた。しかしそこでの希望は霧散した。

 バーテンダーが、自分自身のお店を開こうとする時、延々と判断を下し続ける日々が待ち受けている。まずは場所。価格の設定、どのようなサービスを提供するのか、店舗の広さ、席数、酒の品揃えやグラスの選定、食器類。客層を想像し売上を予測、損益分岐点をできる限り明確にする。借入の返済スケジュールを組み、絵に描いた餅でしかない物を、取りあげて感触を確かめられるくらいにリアルに描き込んで行く。オープンの案内は誰にして、誰に連絡を控えておくのか(果たして本当に誰かそこへやって来るのであろうか?)。
つまみを突き刺すフォークのひとつから、妥当と思える金額の中で、お店の意図に沿うような気にいった形を数多ある製品の中から選ばなければならない。開業における作業に苦慮する場面が多々訪れるのは至極当然であるが、とは言えこれらの仔細にわたっての選択は少なからず快楽も伴う。
 しかしながら、取り敢えずは種々挙げてはみたその内容も、時間とお金をかけるなら事後の変更は、これはまだ充分に可能だ。しかし、何と言っても一番に悩ましいのは、誰が何と言えど店の名前である。こればかりは先ず変えるべきでない。殆ど、どの様な場合を考えても名前を変える事に関してはデメリットしか感じられない。

 マコンドという村の名は、Bar Mano バーマーノという名でお店を10年前に開業した私の苦悩の足跡である。これは要するに店名の候補の一つであった。そんな風なのでここに女々しくもマコンドと言う表題を掲げている訳だ。ちなみに、他候補はその後、Meursaultムルソー、Alger アルジェ、Mano マーノと変遷といいますか変節を遂げるのであるが、その話はまた別の機会に。

 それでは何故、それはマコンドであったのか?
2001年に上梓された野地秩嘉の『サービスの達人たち』。この本は、色濃い人物達の色濃いエピソードが存分に塗し掛けてあり、随分と愉快な内容で大変おすすめであるのだが、その中に伝説のゲイバー、接客の真髄という項がある。
「やなぎ」という日本最初期の本格的ゲイバーを開いた島田正雄という方の話であるが、その中の挿話に「平成六年の八月、六本木に移った「青江」も、四十五日間ひとりも客が来なかったため、ついに閉店。」という一文がある。この本を読んだのは、もう十五、六年も前の話だが、これは我々の仕事の本質的なところが見事なほど簡潔に実態されており、その時分、随分と身につまされたものだ。

 簡単に想像がつく話であるから、是非ご想像いただければと思う。お店と言うのは、まさかいきなりに四十五日間お客が来なくなる訳ではないだろう。最初の予兆は、そう、月に何度か来客のない営業日が出始めたところから始まる筈だ。その次に、それが週の単位となる。そこから、来客のある日とない日の数が逆転する。あとは特定の誰かが来なくなり、一人また一人とお客が減ってゆく。それがいつしか、来客数が週に数人、それから月に数人という進み方をした筈だ。
そしてある日、その客が最後の来客者であり、その夜が最後の一日であった、と言う事は全てが終わったのちに発見されるのであるが、そのある夜の客を最後に、全くそこに誰も訪れなくなる。そしてその事実に気がつくまでに四十五日間かかったという事だ。
 私が、バーテンダーとして仕事をしている時ふと考える事がある。
開店前にしっかりと準備を万端整えて、いざ開店時間となり営業が始まる。お客様が多く混み合って忙しくカクテルを作る日もあれば、閑散とした日はそれぞれのお客様と他愛のない話や、熱のこもった話を十分すぎる程できる時間があり話し込む事もある。しかしバーに毎日毎時間お客様が必ずいるという訳ではない(特に我が店では)。
全く誰も訪れない日があるものでもないのだが、それでもそのある一日の最初の来客が午前0時を過ぎてからだとか、オープン後の17時台にお一人いらっしゃったきり、あとは全くの梨の礫であったりだとか。その様な経験は幾度もある。そういう時に私は、ついある小説の冒頭の引用を思い出してしまう。


太陽はなぜ今も輝きつづけるのか
鳥たちはなぜ唄いつづけるのか
彼らは知らないのだろうか
世界がもう終わってしまったことを



しかし世界は終わってはいないし、お店の外では相変わらず世の中は良し悪しなく、時間は圧倒的に引き続いて進んでいるし、太陽はもう50億年もそこに浮かんでいる。しかしそれでも、全てを十分に承知しながらも、ひとりで黙って6時間くらい無音(音はある。スピーカーから流れるジャズと冷蔵庫の作動音。しかしバーテンダーにとってこれは丘の上を吹き渡る風の音、小川のせせらぎ)の中で本でも読んでいると本当にそんな気がしてくるものだ。
本から顔を上げたら、私の知っていた時間が様変わりをして、以前いた世界がもう終わってしまっていた、とそんな感じ。しかし、それはおまえの世界が終わっているだけかも知れない。それでも、ほんの6時間でさえ人はこんな風に感じてしまう。それがまさか四十五日もあれば誰にでも理解できる筈だ。
その場所や、人が、誰からも思い出されなくなってしまえば、それは有りこそはすれど、無きと同義だと言う事を。

 百年の永きに渡り存在したその場所、蜃気楼の町も、先ずはベゴニアのさざめき、幻滅の吐息にみちた生暖かいかすかな風、そして怒りくるう暴風のうちに、土埃と瓦礫になぎ倒され人間の記憶から消えてしまう。庭の栗の木に縛りつけになり、しゅろの小屋の下いつまでも庭に漂い続けたホセ・アルカディオ・ブエンディーアも、メルキアデスが羊皮紙に書き記した百年の出来事を、今まさに読み終えつつあるアウレリャーノ・バビロニアも同様に。

コロンビアの作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの小説『百年の孤独』は、ホセ・アルカディオ・ブエンディーアをマコンドの始祖とした7代に亘る年代記だ。この物語の百年は、マコンドで始まりマコンドで全ての終わりを迎える。小説の最期、アウレリャーノが目にした光景により、アウレリャーノは百年の永きに亘ってそこで何が起こったのか全てを理解する。メルキアデスと言う名のジプシーが遺した羊皮紙に嵌め込まれた題辞の光景そのものを、アウレリャーノはその最期目にする。

〈この一族の最初の者は樹につながれ、最後の者は蟻のむさぼるところとなる〉

怒りくるう暴風の中、土埃と瓦礫と共にその場所が消えつつある最中、アウレリャーノは此処から全てが消えしまう事を予感し、その町マコンドが消えつつある事を確信しつつも、羊皮紙に書き付けられた一族の歴史を読み進み、自らの死の頁を読み進む中、小説を終える。

この小説は最期この様な文章で閉じる。
「そこに記されていることの一切は、過去と未来を問わず、永遠に反復の可能性はないことが予想されたからだった。」

 この小説は私が20歳の頃に買い求めそのまま死蔵。とうとう読み終えたのは35歳の頃の事だ。バーと言う場所はマコンドのようであり、バーテンダーは庭にいつまでも漂うホセ・アルカディオ・ブエンディーアのようだ。そこが、その場所から消えてしまえば、そこに過去何があったかその事実も次第に忘れられ、偶さかに誰かがその場所の記憶を僅かひとかけら遺していたとしても、その誰かもいつかは消えて無くなってしまい、その全てを閉じる。

この場所は、かつてそのような場所があったと、消えつつあり、その場所が消えてしまった後、誰かが、メルキアデスの遺した羊皮紙をアウレリャーノが目にするように残す場所である。だからバーはマコンドであり、ここにあるバーテンダーはホセ・アルカディア・ブエンディーアであり、書き遺すメルキアデスであり読み終えつつあるアウレリャーノである。








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Maira Gall