2020/08/07

人の意見はむつかしいその1


 他人の意見というものは、大変に難しい。現在はさほど人の意見に左右はされなくなり聞くべき意見は拝聴もするし、そうではなくても判断を保留し参考くらいにはしたりもする。私も含め殆どの人間は、当然だが自分の意見しか持っていない。当たり前の話ではあるのだが、ここから恐ろしく飛躍をする。とんでもない事に、人はそれを平気で自分以外の人間に、さも真理であるかのように語るのである。本人にとっては現在まで生きてきた証のような真実である為、完全に信じ切っており、平気で事実のように語るのである。まったく取りつく島もない。然しながら人生の話、生き方みたいなものを他人に懇切丁寧に諭されたからと言って、明日から違う自分になりましょうなんて事は起こり得ない。もしそれが起こってしまうのなら、その人は人生に多くの問題を抱え過ぎているのではと思う。しかしこれもまた私の意見ではあるのだが。


 これは人の生き方だとかそんな面倒な話ではなく、味に関する話である。職業柄、食事のお店の評判をよく耳にする。皆、自分自身の真実を滔々と語る。二十代の頃福岡の中洲でバーテンダーをしていた当時、その様な話を散々耳にして、時間と懐に余裕がある際にはあちこちと出かけて行った。実際に味わってみて、本当に美味いと思う事が1割、おいしい位ならあとの2割。あとは何故その店を他人に薦めたのか、その類推に時間を割く事になる。若い頃の話であるので残念ではあるのだが、そうおいしくもなかった時などは純粋に腹を立てていた。ようは余裕がなかった訳だが、よく考えるととんでもなく不遜な話である。まさか、一生のうちにまず一度きりその場に現れただけ、せいぜい1万円も支払わない。そんな一度きりの機会で、何故おまえが欲しいだけの満足を充分に、スマートな形で提供されなければならないのか。若く、考えの足りなかった事を今では恥じ入る思いでいる。それはたかの知れた金で、他人の時間を買おうとするようなものだ。今はそんな事を言っている歳でもないので、腹は立たず腹が膨れて終わり、あとは忘れてしまう。但し、おいしくないという事に関しては食物を扱う側の考えもあり、その事が当たり前とは思っていないので、二度そこに出向く事はない。

その当時から20年くらい経っているので、生きている間に起こる事に関しては、情報や状況を充分に選んでも半々、良い事が起こるのは稀で、大過のない事だけで充分に満足である。

 

 さて、味の話である。お酒を仕入れる際、何を基準に選定し買い求めるのか?これはよくお客様から尋ねられる種類の話だ。

 実際には飲んだこともない酒を仕入れるわけである。業者向けの試飲会もあれば、酒販店にはテイスティング用のお酒をかなりの数を準備する会社もある。できるだけそのものを味わって選ぶべきではあるが、それも限度がある。それは何故か?

 バーテンダーの日常は朝方近くまで働き、きちんとしたお店であれば、一般の方が想像されるよりも早くお店にやって来てしっかりと開店の準備をする。バーはイメージよりも汚れやすく、掃除にも大変手間がかかる場所なのだ。そうすると、しょっちゅうあちこちの試飲会に顔を出せるわけでもない。単純に睡眠時間が削られ、営業中に恐ろしいほどの睡魔に襲われたりもする。皆様ご周知の通り、バーとは割に静かで割と暗い場所でもあります。言ってしまえばそれを売りにさえするような場所でもある。もしあなたが暇人であれば是非一度とは言わず暗がりの中で佇むバーテンダーを、こっそりと観察してみて欲しい。バーに足繁く通う人であれば、運がいいのか悪いのかはさて置いても年に一度くらい、カウンターの中で器用に立ったまま眠るバーテンダーの姿に遭遇する事があるかも知れない。それは言わばちょっとした僥倖である。そう、奴らは立ったまま器用に眠れるのだ。でも大丈夫、あなたのその心配もきっと杞憂に終わる。そしてそう、今まさに彼らもまた、その僥倖に浴しているわけだ。


 それでは、どのようにして仕入れる酒を選ぶのか? ここでの話題は特に、ウイスキーに関してである。バーテンダーにより様々意見はあるかと思うが、わが店の場合結局のところ書物に頼っている。


その2につづく

© MACONDO
Maira Gall